黒川祥子さんに聞いた:東日本大震災後の「心の除染」 福島県伊達市で、何が起きていたのか?
地域を分断した「特定避難勧奨地点」制度
——黒川さんは、今年2月に『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』という本を出されました。これは福島第一原発事故後の福島県伊達市での放射能汚染への対応について取材されたものですが、黒川さんご自身が伊達市のご出身なんですね。
黒川 はい、伊達市というのは2006年に5つの町が合併してできた新しい自治体です。私が住んでいたのは梁川町という地域で、「伊達市出身」といわれてもピンとこないところもありますが……。今回伊達市のことを取り上げたのは、私のふるさとだからというだけでなく、原発事故のさまざまな問題の縮図がここにあると思ったからです。
そのひとつが2011年6月から12年12月まで実施された「特定避難勧奨地点」という、いまだかつてない制度です。隣の飯舘村のように地域全体でなく地点、つまり一つひとつの家ごとに、避難を「勧奨する」というのです。同じ集落、同じ学校に、勧奨地点に指定される家とされない家が隣り合って存在する。しかも勧奨だから、避難はしてもしなくてもいいんです。この制度のおかげで、地域社会はズタズタに分断されました。
——同じエリアのなかに「避難できる世帯」と「できない世帯」が混ざってしまうということですよね。その地点はどうやって指定されたのでしょうか?
黒川 「地点」に指定されるかされないかは、電気事業連合会が各戸を回って、敷地内のたった2カ所の放射線量を測定するだけで決まります。そもそも原発推進派で東京電力も入っている電事連が測るなんて、泥棒が警察官をやるようなもの。その測り方にも「くぼみ、建造物の近く、樹木の下や近く、建造物の雨だれの後、側溝・水たまり、石塀近くの地点での測定はなるべく避ける」といったマニュアルがあって、できるだけ低い地点を探して測っているとしか思えません。指定の基準値は「地上1メートルで3.2マイクロシーベルト/時」とされていましたが、どういう根拠ででてきた数値かもあいまい。住民の間に不信が広がったのも当然のことだと思います。
取材した中でも、10代のお子さんがいて被ばくが心配なのに、指定されなかったために避難できずに苦しむ母親に会いました。一方、その家の後ろにある高齢者が暮らす家は地点に指定され補償が出ましたが、避難することもなく庭で野菜を栽培しているんです。その人に非はないけれど、「どうして……」という気持ちになりますよね。そうやって行政が線引きをしたことで、コミュニティが分断されていったんです。
——特に子どもをもつ親にとっては、避難できるのか、補償がでるかどうかは大きな問題ですよね。地点が設定されることで、「選ばれた子どもしか助けてもらえないんだ」と思ってしまいます。(後略)